ブータンと日本の知られざる深い関係とは?
長年閉ざされた国だったブータンと日本の関係は、歴史的にみると浅いようにみえますが、実は非常に強い繋がりがあります。
日本人で初めてブータンに入国したのは大阪府立大学助教授(当時)でヒマラヤ地域における「照葉樹林文化論」を提唱した中尾佐助氏で、1958年にブータンを訪れています。当時、外国人の入国が厳しく制限されていましたが、1957年にお忍びで京都を訪れていたケサン・ワンチュク王妃(第3代国王ジグメ・ドルジ・ワンチュク陛下の妃)に入国を直談判して入国を許されらと伝えられています。
ただし、非公式ではあるものの最初にブータンを訪れた日本人は京都・西本願寺の僧侶であった多田等観であるとされ、ダライ・ラマ13世の命を受けインドからチベット・ラサへ向かう途中にブータンを通過しという記録が残っています。
ブータンで最も有名な日本人「ダショー・ニシオカ」
1951年にアジア太平洋地域の開発援助プログラム「コロンボ・プラン」がスタートし、日本は援助側として1954年から、ブータンは被援助国として1962年から加盟しています。
その一環として、大阪府立大学で中尾佐助の教え子でもある農業専門家・西岡京治氏がブータンにおける農業開発の指導者としてブータンに着任。野菜の栽培、品種改良、開墾といった現在のブータンにおける農業の基盤を築き上げ、当初2年の予定が実に28年間もブータンに滞在し、農業の発展に寄与することとなりました。
彼の特筆すべき点は、農業先進国・日本の常識にとらわれることなく、ブータンの実情や農民の従来の手法や性格にあわせて「最小のコストで最大の成果」を出すことにありました。
1980年に彼は外国人として初めて(現在でも唯一の外国人として)、ブータン最高の爵位「ダショー」を国王から授かります。しかし帰国を予定していた1992年春、半生を過ごしたブータンの地で59年の生涯に幕を閉じました。敗血症による突然の死去で、ブータン発展の功労者の死に国中が悲しみ、外国人としては異例の国葬として葬儀が執り行われています。
現在でも「ダショー・ニシオカ」の名は国の恩人としてブータン国中で語り継がれています。パロ近くの丘には彼の功績を称える「西岡チョルテン」と呼ばれる仏塔が立てられていて、空港にも近いので簡単に訪れることができます。
ブータン国王と日本
2011年11月、結婚後初の外遊として第5代国王ジグメ・ケサル・ワンチュク陛下とペマ王妃が来日されたのは記憶にあたらしいところです。国会での演説や、福島県相馬市では東日本大震災の犠牲者に対しての祈りを捧げられるシーンは非常に印象深いものとなりました。
国会での演説は、ブータンと日本の深い友情と、ブータンそしてアジア、世界にとっての日本のあるべき姿を、私達日本人が忘れかけている何かを思い起こさせてくれる、珠玉のスピーチでした。
2011年3月11日の大震災発生翌日には国王陛下主催の追悼式が執り行われ、日本へ祈りを捧げてくださっています。また、今年の3月11日には現地在住日本人や要人を招いての1周年祈祷がティンプーで執り行われています。
もうひとつ、印象深いエピソードがあります。
1989年昭和天皇崩御に際して挙行された大喪の礼に、当時の第4代国王ジグメ・シンゲ・ワンチュク国王が来日されました。
こういった場合、この機会を利用して日本からの経済的支援や協力を仰ぐ、いわゆる「弔問外交」を行うことが通例で、これ自体は決して失礼にあたる行為でも何でもなく、ごく一般的に外交上行われていることです。
しかし、国王陛下はこの際に「我々は天皇陛下に対する弔意を示すため来日したのであり、お金の無心のために来たのではないのです」という言葉を残し、大喪の礼のみ参列し帰国されました。
さらに、ご帰国後は自身が1ヶ月も喪に服し、祈りを捧げ続けたと伝えられています。
これらのエピソードだけでも、ブータンがいかに日本にとって大事なパートナーであるか、そして友人であるかがお分かりいただけるのではないでしょうか。
日本とブータンへの交流と支援
日本とブータンの国交樹立は1986年3月で、それ以前にもあったコロンボ・プランに基づく支援や西岡氏を始めとする指導専門家の派遣に加え、より活発な交流が始まりました。
1987年には徳仁親王(当時は皇太子殿下、現在の天皇陛下)がジグメ・シンゲ・ワンチュク国王陛下の招待でブータンを訪問されています。また、ブータンからはほぼ毎年、王室関係者、政府関係者・高官が来日しています。
2017年には秋篠宮家の次女眞子さまが、2019年には私的なご旅行として秋篠宮ご一家が訪問され、悠仁さまとワンチュク国王のご子息ギャルセイ・ジグメ・ナムゲル王子と遊ばれる姿が報道されました。
日本はブータンにとって主要な援助国であり、無償資金協力は累計約300億円にも上っています。2007年から2008年にかけて行われた初の総選挙の際には緊急無償支援として約100万ドルを拠出し、監視団を派遣するなど公正な選挙実施のための支援を行なっています。
現在、ブータン国内には約150人の日本人が居住しており、その多くが国際協力機構(JICA)の関係者で、青年海外協力隊スタッフやシニアボランティアとなっています。